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昭和38年(1963年)から昭和48年(1973年)田口和雄監督

故 田口和雄監督を想う

2010/11/20

  去る平成22年10月15日未明、我が長崎工業高等学校野球部 元監督の田口和雄先生がご逝去されました。享年77歳とお聞きしています。お通夜の日に奥様にお話をうかがうことが出来ましたのでOBの皆さんにお亡くなりになった状況をお知らせします。

 10月14日の午後9時頃、いつものように先生は缶ビールを1杯召し上がって食事をされた後ベッドに横たわったそうです。その日は丁度、東京6大学野球の優勝決定戦があった日でした。先生は毎日、深夜のスポーツニュースを見るのが日課になっていたらしく亡くなられたその日もいつものように、深夜に起きてリビングのソファーに腰掛けてテレビを見ておられたのではないかと推察されます。テレビ観戦後または観戦中に、心筋梗塞或いは心不全か引き起こして静かに息を引き取られたのではないでしょうか。奥様のお話によれば亡くなられた時のお顔は苦しんだ様子も無く実に眠っているのではないかと思う位の安らかなお顔だったそうです。
 
 ここに故田口和雄監督在任時の輝かしい実績をご紹介いたします。
・昭和38年 九州大会(鹿児島)出場
・昭和39年 九州大会(長崎) 出場
・昭和44年 九州大会(大分) 出場
・昭和40年 西九州大会(佐賀)   出場(佐賀、長崎両県の夏の甲子園代表決定戦)
・昭和44年 西九州大会決勝(長崎) 出場(      〃           )
・昭和46年 西九州大会(長崎)   出場(        〃         )
・昭和48年 長崎大会決勝     (夏 記念大会の為 各県1校) 出場
 

 以上のように素晴らしい監督としての実績を上げられた田口監督は、日体大時代はラグビー部(ウィング)で活躍されたラガーマンでした。球歴は殆ど皆無に近く素人同然だった為、野球に関する書籍を読みあさり指導者としての相当な努力をされたと私は多くの方から聞かされたことがあります。選手の素質を見抜くインスピレーションは素晴らしく、思いもよらない選手の起用をして成果を挙げられたとも先輩方々からよくお聞きしました。甲子園出場こそかなえることは出来ませんでしたが、上記のごとく輝かしい長工野球部の礎を作られたのは紛れも無い事実です。
生前、OB会設立の報告をご自宅に伺ってしましたところ相好を崩して喜んでいただきました。そして長工野球部の発展を心より望んでおられました。最後になりましたがここに皆様とご一緒に故 田口和雄監督のご冥福を心よりお祈り申し上げたいと思います。

                        長工野球部OB会 会長 藤川 彰二

                      


1947(昭和22年)-1956(昭和31年)対戦成績

1957(昭和32年)-1966(昭和41年)対戦成績

1967(昭和42年)-1976(昭和51年)対戦成績
昭和38年から昭和48年まで田口監督

1977(昭和52年)-1986(昭和61年)対戦成績

1987(昭和62年)-1989(昭和64年)対戦成績

1989(平成元年)-1998(平成10年)対戦成績

1999(平成11年)-2008(平成20年)対戦成績(データが無いので掲載出来ません)

2009(平成21年)-2014(平成26年)対戦成績

 

 


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