OBのみなさま

98回全国高校野球選手権長崎大会(平成28年7月12日於佐世保野球場)

夏の大会について
第98回全国高校野球選手権長崎県大会の第一回戦は佐世保野球場で第8シード校の創成館高校と対戦。11日、9時30分開始でしたが雨のため1時間遅れで長工野球部の夏が始まった。しかし2回表創成館攻撃中雨が激しくなり、次の12日に順延。山崎投手が雨を気にしてコントロールもままならない状態だったので恵みの雨といえる。
 翌日の再試合は天気も回復、グランドのコンディションもまあまあ、雨具の用意をして行ったが出番はなかった。長崎工業川口君の始球式があり、そのあと長工先攻で試合がはじまった、山崎愁投手もヒットは打たれはするが3点に押さえるなど良く健闘したと思います。しかし翌日の長崎新聞には「昨年の王者、第8シード創成館がV2へ好発進した。長崎工に3−2で競り勝ち、植田監督は(うちは接戦をものにするチーム。いい試合だっだ)と晴れやかに振り返った」など創成館にとっての長工戦は通過点扱い。長工は7回敵失と代打小林のタイムリーで追いついたがダブルスチール失敗でこの試合唯一のチャンスを逃した。山崎愁ー山内の2年生バッテリーはよく頑張りました。しかし味方の打線は湿っていて不発、特に3年生は最後の夏なので意地を見せて欲しかった。何しろ打ったのは2年生の山内が2本、小出、小林、1年生の林が各1本、計5安打ではどうしようもない。チャンスらしいチャンスもなく監督も打つ手がなかったことでしょう。しかし試合の流れからするとひょっとしたらという感じを持ちましたが勝負は完敗です。試合途中2−2の同点に追いついた時点で名古屋の本村広喜先輩、仙台の長浜文男 福岡の吉井健志、海星の橋口氏、高比良氏などの方から応援電話をいただきました。49年前の夢よもう一度は実現しませんでしたが、選手の皆さん良くやったと思います本当にご苦労さんでした。この負けた悔しさを糧に猛練習を重ねて長い夏を乗り越え秋の大会に繋げてください。幸い先発メンバーで3年生3人が抜けるだけで、バッテリー、代打でヒット打点1の小林、1年生ながらショートを守りヒットを打った林等6人も残っています。藤本監督の猛練習について行ければ必ず道は開かれると思います。本気で甲子園を目指すならば、やらされるから自らやる。そうなれば練習が苦にならない(経験上)何事も自分のためです。
 2日間とも朝7時出発で眠い目をこすりながらの佐世保通いでした。昼夜が逆転している毎日が日曜日の年金暮らしの身には早起きは辛い、それでも母校の野球を見れるのでワクワク気分は爽快でした。球場に到着スタンドに行く途中創成館の野球部員がOBでも無い私達に元気よく挨拶してくれた。良く教えられているなと感心したしだいです。長工も見習ったらと思いました。佐世保までは藤川会長運転の車で川崎、今村、岡本、山内が同乗、喧々諤々昔話に花が咲き楽しい一時でした。(別便で古澤、佐藤)しかし2日目負けてからの帰りは意気消沈、長い道中でした。
 古澤は49年前創成館の前身九州経営に1−0で勝利したときの主将(当時の九経はどんなに強かったかは見学会のところで既に書きました)
 6月26日保護者会主催の壮行会で挨拶した今村は長い歴史を持つ長崎工業野球部の、1,000名近くいるOBのなかで高校野球審判員は2人しか出ていない中の1人で41年間勤める。長崎県審判協会より平成15年に10年以上表彰、平成19年には朝日文化球育賞を受けている。もう一人は下釜先輩(第1期黄金時代のバッテリー「山口幹夫—下釜保夫捕手」昭和24年卒西部ガス、故山口先輩は西鉄)私がマウンドに立っていた頃いろいろ声をかけていただき元気づけられました。心強い先輩でした。
 岡本真一は46年の夏、3番サード主将としてチームを引っ張り、林秀文—松本孝光のバッテリーを擁して西九州大会に出場した、長工としては3度目の西九州大会挑戦でした。1回戦は佐賀竜谷に4−3で勝利したが、決勝戦では海星に0−2と惜敗、甲子園への夢が断たれた。藤川会長はその時2年生、遊撃手で岡本を助けて活躍した。
 川崎先輩はバッテリーを組んでいた名古屋支部本村ー堀川さんと同期で昭和22年の第1回大会以来16年ぶり県大会で優勝し26年春長崎市で開催された第8回大会以来3度目の九州大会出場したときの1番中堅手で、小兵ながら俊足、巧打で活躍した。
 保護者会の皆さんも雨の中や炎天下、2日間続けての遠路はるばる佐世保までの応援ほんとうにご苦労様でした。 特に3年生の保護者の皆さんは2年と何ヶ月、雨の日も、風の日も我が子を見守ってのグランド通いほんとうにお疲れ様でした。野球部を止めずに続けてきたことはこれからの人生にとって必ずプラスになると思います。継続は力なりと言いますから
 昔はというか私たちの頃は親が見に来るということはほとんどなかったです。時代でしょうかね。しかし阿部慎吾主将(三菱化成)の両親だけは(県家畜衛生保健所所長)よく応援にきていたのを覚えています。今村によると藤山徹(長崎記念病院)の親御さんも来ていたそうです。私は親から「いつも帰りが遅いが何ばしよっとか」と言われたことがある。そのように我が子の野球にたいして無頓着でした。 ちなみに私の親は大工でした。
 長工野球部の今年の夏は終わりました。いつの日か敗北の苦汁ではない勝利の美酒を味合うまでOB共々連携してこれからも長工野球部を応援していきましょう。 
『輪に想いを込めて!』
※お願いー保護者会の皆様やOBの方、開店休業状態の掲示板の活性化や交流のため書き込み等よろしくお願いします (写真、記事など歓迎)お問い合わせからも投稿可

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